自然の食べ物は怖い!

 我々の口に入れる飲食物で《絶対安全》などと云えるものはない。ということが健康食を考える上での基本だと思っています。我々の周りに絶対安全な場所などないのと同じです。歩道を歩いていても暴走車にやられます。マンションの部屋にいても飛行機が飛び込んでくる可能性はあります。何が起こるかわかりません。こうした考えは健康食を考えるうえで非常に重要なので、さらに説明したいと思います。

 健康関連の書籍を片端から読み漁った私ですが、この本の通りやれば間違いなく健康になれると思った本に行きついたことは結局なかったのです。非常に危うさを感じています。勿論、現在出版されている本には実に貴重な情報がおりこまれているものがほとんどです。けれども、決定的な致命的なミスもやってのけているように思えます。

 その一つは《自然のものは素晴らしいのに人が手を加えることでトラブルが引き起こされる》と云う認識です。これはものすごい誤解であり、間違いです。猛毒のトリカブトや毒キノコが怖いだけではないのです。水銀で汚染されたマグロが怖いだけではありません。

 牛や馬ほどの強力な消化器を持たない我々人類は、そこここに生えている草木を食べることはできません。人が食べることの出来るものはほんの一部でしかなかったのです。ほんの一部にしかない植物を見つけ出してこれを拡大再生産させてきました。
 この過程で食べ方も工夫を凝らしてきました。米は非常に優しい食物ですがそれでも米の実だけを煮ることで食べることが出来たのです。根や葉を丸ごと食べるわけではありません。さらに重金属やフィチン酸などの毒物が入っているフスマや胚芽を避けて白米にして食べるようになったのです。

 米だからと云って、自然だからと云って、デトックス作用があると云って玄米などを食べ続ければコラーゲンの吸収が衰え、皮膚や筋肉や骨などが痩せ衰え(これは老化以外の何物でもありません)、皮膚はたるみ、歯を失い、骨折しやすい体になります。

 毎日飲んでいるお茶やコーヒーは湯に溶け出した成分のみを飲んでいます。精製するのが悪いなどと云って丸ごと食べると、ひどいことになります。

 大豆は無農薬で育てても皮にフィチン酸などの毒物を含んでいます。それで発酵させて味噌や納豆や醤油にしたり、大量の水にさらして豆腐にして食べるようになりました。先人は大豆の毒を知っていました。驚くことではありません。食料が尽きた時に大豆だけ残っていたことがあったのでしょう。それで大豆だけを食べ続けたのでしょう。それでは体が弱って生きていけないことはすぐわかります。

 我々が日常食べているものを見ても自然が怖いものであることは明らかです。肉類は比較的安全度が高いと云えると思います。それでも、少しでも古くなるともう駄目だったのです。それで火を使って焼いたり、干したりして食べてきました。人の手をいっぱい入れることで食べ物を確保してきたのです。勿論現代はやり過ぎているのではないかと言えるものもいっぱいあります。

 それでも自然だから良いとは言えないのです。自然は本当に怖いのです。こうした認識を持つことで、私たちが毎日食べている食材をひとつひとつ丁寧に見直す習慣が身に着きます。

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